アメリカ国歌ぼくは、アメリカ国歌が好き。 歌詞ではない。 行進曲調でもバラード化してもどんな編曲にも堪えそうな、 あのメロディーが好きなのだ。 NBAファイナルでも、試合に先立ち、国歌斉唱が行われた。 歌うのは、大御所アレサ・フランクリン。 アレサは、たっぷり太り切り(ハーフタイムショーに登場し、 「Papa Was A Rolling Stone」を歌ったテンプテーションズの 面々もお団子状態。アメリカの肥満は深刻だ)、二重になったアゴを 大きく上下左右にうごめかせ、衰えのない歌唱を聴かせた。 うん、やっぱりいい曲。 ぼくがアメリカ国歌を、曲として意識して聴いたのは、 たぶん、ジミ・ヘンドリックスの演奏だ。 どのアルバムだかは忘れた、多分『Woodstock』じゃないかと思うけど、 彼のライブ演奏でアメリカ国歌がこんな曲で、 『The Star-Spangled Banner』という曲名だということを知った。 その時は、歌詞があることすら知らなかった。 Woodstock、ちょっと聴いてみよ。 ---------------------- ジミヘンドリックス、ウッドストックの「Star Spangled Banner」。 これだったかなぁ・・・・・・? でも、きっとこれだ。 改めて聴くと、ものすごい演奏。 こんな破壊的な国歌なのかなと思ったことを、今、思い出した。 これじゃ、歌詞なぞあるとは思わんな。 でも、アメリカ国歌は、そのずっと前から耳にしてはいたはずだ。 ジミ・ヘンドリックスの演奏で、 ぼくがアメリカ国歌を曲として意識するそれよりも前、 1968年のメキシコオリンピック。 男子200メートルの表彰式で、1位と3位の黒人選手が、 表彰台で流れたアメリカ国歌に対して黒い手袋をした拳を揚げて、 アメリカという国に抗議した。 表彰台の最も高い中央と、その後ろ3位の位置に立ち、 国歌が流れ出すとふたりは拳を高々と突き上げた。 小学生だったぼくはその姿をテレビで見て、 異様な感じがしたことを覚えている。 --この兄ちゃんたちは、なにを怒っているんだろう? 公民権運動やブラック・パワーのことを知ったのは、ずっとずっとあとのこと。 国歌は、国権の象徴でもある。 NBAファイナルでも、アメリカ国旗が掲げられたその隣には、 銃を持つ衛兵が立っていた。 ---------------------- アメリカ国歌の歌詞は、今も知らない。 しかし、聞くたびにいつも心に残る一節がある。 一番最後、最も盛り上がるところ。 今日も、NBAの試合が行われる会場は、 ここで割れんばかりの歓声があがった。 ♪ the land of the free ♪ 「the land of the free」、自由の国。 誇らかに歌いあげる自国の理想。アメリカこそが、自由の国だ。 そこにウソがあることを、メキシコオリンピックの2選手は 世界中に知らしめようとした。 今もこの旗と歌のもと、自由を奪われている人や国がどのくらいあるだろうか? アメリカ国歌は、米英戦争のときの体験がその詞の元になっているとか。 --ひと晩中、英軍のすさまじい攻撃が続いた。 --次の朝、米軍の星条旗は砦の上にはためいていた。 --キー氏(Francis Scott Key:1779-1843/弁護士)は --その旗に感激して一気にこの詞を書き上げた。 というアメリカ国歌誕生譚は、学校で学ぶし、 独立記念日には、テレビで特番が組まれるらしい。 しかし、結局、戦いから生まれた歌詞であり、曲なのだ。 (曲は以前からあったもので、それに詞をつけた格好になっている) 戦争の中から生まれた国歌。 だから、人の心を鼓舞しするような、ドラマチックな構成なのか。 こなた、我が国の国歌は、ひたすら静か。 『君が代』は、天皇の世を歌っている。それが素直な受け止め方。 --“君が代”の“君”は、日本に暮らす人一般のことです。 などと一時言っていたが、そんな風にねじくれて考える方が不自然だろう。 「天皇の御代は岩に苔がむすまで、 いや、それ以上、永久に繁栄を続けるであろう」 そんな意味の歌詞だから、メロディーもそれに見合うように、 高貴に、荘重にしようとしているようなイヤミを感じる。 世界で一番短い国歌らしい。その短さは勲章ものだ。 最近、どこかの学校でPTAの会長が会合で、 --国旗、国歌を強制するのは、教育現場にふさわしくない。 という旨のスピーチをしたら、会長を解任されたそうだ。 その会長は、「子どもに考えさせる必要がある」とも言ったらしい。 実にまっとうな意見だと思うのだけど、学校側からは言わずもがな、 父母たちからものすごい反発があったとのこと。 反発した父母たちは、「日の丸」、「君が代」を ほんとうに国旗・国歌として崇めねばならないと思っているのか? それとも、子どもが人質にとられているから、 学校側の言うことをきかねばならぬのか? 30代半ばの思考はワカラン。 国旗にしろ、国歌にしろ、共に暮らす人への敬意があり、 その敬意の集合体として国が存在していれば、 自然に好ましいものになるはず。 強制するモノではないだろう。 「日の丸」という国旗・「君が代」という国歌に、どこかおぞましさを感じるのは、 その背景に、虚構に塗り固められたものがあるから。 『君が代』の歌詞解釈の強引さもそのひとつだ。 「まず、国ありき」という考え方が、 「国旗・国歌をありがたく思わねば」という思考へ導く。 おかしい。 小さな細胞が60兆個集まって人の体となるように、 ひとりひとりが機能する個人の集合体としてだけ、国は成り立つ。 お国のため、とか、御旗の元に、とか、ご免こうむる。 (2004.06.16) ジャンル別一覧
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